キャットシッターしろねこしろの福元です。
猫の寝姿を見るのが好きです。
安心し切った顔でスヤスヤと寝る姿には本当に癒されます。
「ここに危険なものは何も無いんだ」と、ヒトの本能が理解して安心するんでしょうか。
人間が安心すれば家の中が穏やかな空気になり、そんな空気を感じ取った猫はさらに安心して、またその安心した猫の姿を見て人間が癒され。。
まさに癒しスパイラルですにゃ。
猫の寝姿を見るのが好きです。
安心し切った顔でスヤスヤと寝る姿には本当に癒されます。
「ここに危険なものは何も無いんだ」と、ヒトの本能が理解して安心するんでしょうか。
人間が安心すれば家の中が穏やかな空気になり、そんな空気を感じ取った猫はさらに安心して、またその安心した猫の姿を見て人間が癒され。。
まさに癒しスパイラルですにゃ。
我が家の猫、たけのこが天国へ行ってから一年が経ちました。
一年間は「去年の今頃はこうだった」と鮮明に思い出せるので、悲しくなる日もありました。
父が亡くなった時もそうだったので、だから喪中が一年と設定されているのかなぁと思ったりします。
ちょうど去年の今頃は、たけのこが死んで数日後の、悲しみがじわじわと増してとてもつらい時期でした。
晴れた日もあったはずなのに、毎日ずっと曇っていたような記憶しかありません。灰色です。
話は変わりまして。
私は漫画家の伊藤理佐さんのエッセイマンガが好きなんですが、伊藤さんの飼っている2匹の猫のうちの1匹が亡くなった時、遺された1匹の方が亡くなった猫そっくりの鳴き声で鳴いた、という話があって。
わたしにはそのような経験がなかったので「不思議なこともあるものだなぁ」「同居猫の体を借りて遊びに来たのなら会えてうらやましいなぁ」と思ったものです。
そんなことがあれば、悲しい気持ちもちょっと和らぐんだろうなぁと。
そうしたら、灰色の毎日を過ごしていたわたしにも、不思議なことが起こりました。
さくたは普段、寝ている時にいびきをかきません。スヤスヤとそれはそれは静かに寝ます。
ですが、その日はグーピーグーピーといびきをかいて昼寝をしていました。
そのグーピーが、元気な時にたけのこが発していた、いびきの音そのものだったのです。
あまりに聞き慣れたその音に「あ、たけ、後ろの出窓で寝てるんだ」と一瞬、勘違いしたくらいです。
が、すぐに「たけはもういないんだった!」と気づき、バッと振り返るとさくたの寝姿がありました。
ええー!
もしかして、伊藤理佐さんちの猫と同じようなことがうちにも!?
さくたの体をまじまじと見ました。
この体にたけのこの魂が入っているのか・・・?
しかし、もしそうだとして、たけのこがさくたの体を借り「世を忍ぶ仮の姿」となってまで現世でやりたいことが、昼寝をすることだとは。飼い主に何か伝えたいこととか無いの?と、ちょっと笑ってしまいました。
でも、我が道を行くのんきな性格のたけのこらしくて、わたしにはとても信憑性がありました。
きっと、痛みも苦しみもない健康な体で、陽にあたりながらゆっくり昼寝したかったんだろうなぁ。
ただの偶然かもしれませんが、とても癒された一年前の出来事なのでした。